【聖なる夜の……】

 寒い冬の放課後、いつもと同じ帰り道。少女は少年の暖かい手をぎゅっと握り締めながらちらりと彼を見上げた。
「――ねえ榮、明後日どうしようか」
「何が」
「何がって、明後日が何の日か知らない訳じゃないでしょう?」
 からかっているのだろうか。少女は訝しく思い少年を見上げた。今度はしっかりと。
「何の日って?」
 彼の表情からは何も伺えない。もしかしたら本当に気づいていないのだろうか。
 ――明後日、十二月二十四日が何の日であるのかを。
「今年から明後日が終了式の日に戻ったのか?」
「……それじゃあ今日は一体何の日だったのよ」
「終了式。二学期の最後を締めくくる日」
「じゃあ明後日は何の日?」
 少女は呆れて少し顔をしかめて少年を見上げる。彼が自分をからかっていないかしっかりと確認する為に。
「ああ、そうか」
「思い出した?」
 少女の表情がぱっと明るくなる。
「模試がある」
「…………」
 少年の答えに少女は顔を幽かに歪め、ぷいと視線を逸らした。
「智明?」
「クリスマスイブでしょう?」
「ああ。そういえばそうだったな」
「じゃあ――」
「でもさ、クリスマスなんてキリストの誕生日だろう。そんなものを有難がって一体何の意味があるんだ? 俺は一応仏教徒だし、智明の家もクリスチャンではなかったよな」
「そうだけど……」
「それならクリスマスにわざわざ何かするなんて、意味がないことなんじゃないのか」
「でも、雰囲気くらいは味わいたいじゃない」
「判らないではないが、日本のクリスマスなんてメーカーの陰謀だろう。何より雰囲気を味わうのなら24日より25日だと思うんだが」
「………判った。もういい」
「智明」
「どうせ模試があるんでしょう」
 確かに少年の言葉には一理あった。一理どころか正論である。高校二年の冬は勉強するに限るだろう。なぜなら、今遊んでいたら国立大の受験を予定している人間に、来年の今頃はクリスマスどころか時間自体が存在するのかすら想像できないのだから。
 少女には返す言葉は何もなかった。でも少年は何も判っていないと少女は思う。
「ああ」
「榮にその気があってもなくても、関係ないじゃない!」
 断るために、少年はわざわざあんな回りくどい言い方をしたのだ。
「一緒に過ごしたかっただけなのに……」
 思わず本音がこぼれる。
「模試でも何でも、構わなかったのに……」
 一体、この一言を言うのにどれだけの勇気を掻き集めたと思っているのか。
 しかしその勇気も虚しく散り、結局一人で過ごさなくてはならないのだ。
「智明」
 少年はその場に立ち止まると、先程よりも少しだけ大きく、力強い声で少女の名を呼んだ。
 少女もぴたりと立ち止まる。
「―――……」
 何度名前を呼んでもこちらを見ようとしない少女に、少年はなおも言葉を重ねる。
「智明」
「――はい」
 不承不承といった様子で少女は返事をする。それでも、視線はそらしたまま。
「大丈夫。模試はあるけど申し込みはしていないから」

 パンッ―――

「―――っ」
 少女が振り払った手が少年の頬をかすめ、渇いた音が響いた。
「あ――」
 予想以上に大きな音に驚いた少女は、俯いたまま少年に背を向けた。
 今にも走り去ってしまいそうな様子の少女の腕を掴む。腕からは少女の体温と震えが伝わってきた。
少年は少女をこちらへ向かせようと、掴んだ腕を軽く引いた。
「ごめん」
 少年の謝罪に少女はふるふると首を左右に振り、小さな声で謝った。
「ごめんなさい……」
「何が不満だ?」
「全部」
「うん」
「榮が判っててからかった事も、知らん振りしたのも、明後日が模試なのも、全部。全部嫌」
「うん。大丈夫だ、明後日は模試があるけど申し込んでいないから」
「え――」
 少女が顔を上げる。頬は赤く紅潮し、目の端にはうっすらと涙が溜まっていて、今にも零れ落ちそうだった。
「どうせなら、一緒に過ごしたいだろ」
「酷いよ」
 キッと今まで見たことがないくらいに鋭い視線で、少年を睨み付ける。
「ほんっとうにわざとだったのね!」
 ぷうっと頬を膨らませ今にも掴みかからんばかりの勢いで、少年ににじり寄る。
「否、だから謝っただろう」
「謝ってない」
「だからほら――これ」
 少年が鞄の中から取り出した何かを差し出した。
「なに?」
 それは二枚の紙片。
「映画のチケット。智明が見たがっていたやつ」
 少女はその紙片を受け取ると、じっと見つめた。
「違ったか?」
「―――吃驚した」
「何で」
「だって――…。ううん。嬉しい」
 少女は満面の笑みを浮かべ、少年を見上げた。
 硝子細工のような少女に手を伸ばすと、絹糸のような髪に触れた。
「さかえ?」
 甘い甘い声音。
 まるで溶けてしまいそうな、儚い身体を引き寄せる。
「悪かった」
「――うん」
 大丈夫、少女は小さな声で呟いた。
 少年の暖かな手さえあれば、屹度永遠に大丈夫。
 少女は少年の手をぎゅっと握り締めた。

- fin -

おまけ