赦しの秘跡

―――ナゼワタシハイキテイル?

自分という存在の消えた瞬間のことを憶えてる。
わたしに刻まれた、ワタシという存在の傷痕。
「わたし」と云う存在を奪った彼らから、「彼ら」という存在を消してしまいたかった。
ただ世界を壊してしまいたかった。
この手で、
わたしが唯一持っている、この、ふたつの手で。

なぜ自分は生きているのだろう。自ら生きることを拒んだはずなのに。

あの瞬間を、忘れることなどできはしない。
手の中に握りこんだ銀色の塊。
ずっしりとした質量を持って語りかける、鉄の塊。
人を殺す為の道具。


これひとつで、数え切れない程の人を殺してきた。
今はもう、記憶にすら残ることのない人々。
その一人ひとりにひとつずつ、物語があったはずなのに。
誰かに愛され、誰かを愛し、小さなカタチを築いてきたはずの彼ら。
何も知らなかった、そんな言葉で赦されるはずのない行為で。
彼らの命を奪った。
涙を流すこともなく、手向ける花さえ持たずに笑みさえ浮かべていた。
それは、ほかでもない私。

私自身


後悔はやむことはない。

夜毎夢に見てはうなされた。
早鐘を打つ心臓、からからに乾いた咽喉に震える手で水を流し込み、
苦しくて、むせて、吐き出して。
声なき悲鳴が咽喉を裂いた。
汗だくになった體を持て余し、昂ぶった意識を静めようと、
何度鏡を叩き割っただろう。
血まみれの手。
亡霊のようなわたし。
闇に沈んだ部屋に、ぼんやりと浮かび上がる白い影を見つけては、
死者の怨嗟が耳について離れないような気がした。
いつも―――

いつも

わたしを消してしまいたかった……

「本当は殺したくなかった……!!」
血を吐くように、言い訳のように幻に叫ぶ。
聞く者などいないことが解っていても。
何度でもそうした。
繰り返し……繰り返し

殺したかったのは、彼らのことじゃない。
答えはとっくに出ていたのに。
判っていたはずなのに。
仕事だからとか、自分にはこれしかないとか、
そんな子供じみた理由なんて本当はもう、必要なかった。
いつまでも、自分の居場所を捨て切れなかった自分。
最期まで可能性に縋り付いて、ここまで来てしまった。
ただ目を、逸らし続けていた。
ココロが悲鳴を上げていた。


―――ナゼワタシハイキテイル?


自分の生に、見切りをつけたはずなのに。
はずだったのに!
ついさっきまで抱いていた感覚は忘れようもなかった。
冷たい風
夜なのに気持ち悪いくらい明るい空
車の排ガス
この街の不味い空気
まとわりついて離れない、血の臭い
何もかも、鮮明だった。


けれどここにはそれがなかった。
冴え冴えと浮かぶ月
乾いた空気
黴たような古い本の匂い
輝く日差し
自分に向けられる、「彼」の優しい笑顔。
どれもこれも、初めてだった。


忘れられない記憶がまたひとつ増える。
後ろ暗い秘密。
死を覚悟した瞬間。
意識が溶けて消える甘美な幻想。
わたしがわたしでなくなるという悦び。
初めて自分に対して向ける、銀色に輝く鉄の重み。
鎖じた瞳
無限に拡がる闇
高鳴る鼓動
カチャリ
小さく音を立てる戟鉄
ズシリとした感覚に、幽かに震える指先。
「あぁ……」
漏れる吐息。
こめかみに当たる、銃口の冷たさ。
そして―――


―――ナゼワタシハイキテイル?


生き永らえてしまった事実が胸を苛む。
死ぬことを許した自分には、「彼」はあまりにも眩しくて。
あまりにも自分が汚れているようで。
失った時間は二度と戻らない。


胸からはまだ、朱い血が滴り続けている。
何が悪かったのだろう。
わたしが悪いのか。
「彼ら」が悪いのか。
問い続けても、答えは出ない。


―――ナゼワタシハイキテイル?


けれどまた、新しい傷痕がわたしに語りかけるだろう。

「イッショニシノウ?」


この小さな世界で失った、「わたし」の時間を取り戻したかった。