揺 籠
- ゆ り か ご -
わたしは一体、何のために存在しているのだろう。
この想いが、疑問と云う形になって目の前に現れたのは何時ごろだったろうか。
生まれながらにして白い禽鳥の羽を持ち、神のように崇め奉られ、人からは畏怖され、名も与えられない。
ヒトから檻を与えられ、そこにいることを義務付けられた。
意識はあっても思いは叶わず、積み上げる時すらも無為に過ごし、考える行為さえ知らなかった。
触れるもの全てが、まるで茨のように痛んだが、流れる「血」など気付かなかった。
世界は真冬の雪のように冷たかった。
そこには何も知らないわたしがいた。その「わたし」は、わたしと云う名を持つ肉の塊に過ぎなかった。
ただのオニンギョウ。
わたしには感情の存在も認められてはいなかった。
ただそこに「存在」すれば良く、姿が見えなくても、「わたし」を畏れる心配のない心休まる時間を過ごすためには、何の支障もなかったのだ。
わたしはヒトに触れたかった。
けれど誰もがわたしを畏れて、檻に帰るように促した。
仕方なくわたしは、檻へと引き返す。
皆は安心して外へ出てくる。
永遠の連鎖だった。
檻の中は、この村のどこより贅沢な空間だった。
わたしはこの檻で脱皮を繰り返した。何度も何度も。そのたびに身体が成長し、檻が窮屈に感じられる気がした。
わたしの檻は拡げられることも、そこから開放されることもなく、窮屈な時間は増えるばかりだった。
やがてわたしは檻の中でたくさんの綿や柔らかい布やクッションにうずもれるようにして甘いお菓子ばかり食べ、毎日幼虫か幼子のように身体を丸めて過ごすようになった。
そして目を閉じ、じっと動かずに時を過ごす。母に抱かれた記憶などないわたしに、人工の繭は優しい夢を見せてくれた。
しかし、どんなにつくろっても繭は檻でしかなく、檻はわたしに苦痛しか残さない。
優しい夢を見れば見るほど、空しさもつのっていった。
けれど苦痛はわたしを人間たらしめる唯一の感覚で、この「苦痛」なしにわたしは「わたし」と云う存在を理解し得なかった。
無感情な芋虫であるわたしは結局、自身を縛る檻を抜け出せずにいた。
どんな虫でさえ、春になれば成虫に変わるものなのに、羽を持っていながら飛ぶことはおろか、飛べることすら知らなかったのだ。
ニンゲンの繭を、揺籠ということすら知らなかった。
わたしは何故、存在しているのだろう。
檻は高い塔の上にあった。
ちょうど童話のお姫様の檻に似ている。
その高い塔の上にある、檻の窓から村を見下ろす。
ヒトがいる。オトナも、コドモもいる。
窓から見える景色は、とても大きく檻よりも広かった。
そんなに広い外のことなど考えられない。檻に、揺籠の中にのみ存在するわたしは、わたしの「生」は生きていると云えるのだろうか。
生きてゆく術も、「檻」より外の世界を知らないのにこの「命」は存在していると云えるのだろうか。
ただ閉じられた空間で、喜びも悲しみも、体温も何も知らずに。
最悪なのはわたしの心が、それでも満足してしまっていること。広い世界を知るよりも、さらに大勢のヒトに奇異の目で見られるくらいなら、暖かく管理された揺籠のほうが居心地いいと。
未知なるモノに対する恐怖より、空しくても夢を見せてくれる揺籠のほうが幾分かましだ、と判断したのだ。
「ジユウ」と云うことに憧れながら。
檻の窓から見える、下界の人々の見せる笑顔はわたしがここにいる限り、わたしの肉体から生まれてくることなどないのに。
頭のどこかでそれを理解しながら。
羽はトビタイと、わたしの身体を苛むようになった。
今まで以上に繭は窮屈になり、成虫への最後の脱皮を予感させた。
わたしは何かに抵抗するようにさらに身体を小さくまるめ、胎児のような格好になりながら、暖かい布にくるまれてすごした。
けれど身体は、最期の時を知らせるようにズキズキと痛みだした。痛みはココロを、精神を蝕み、侵していった。
ヒトを憎み始めた。
窓から見下ろす人々のように、ただ平凡であることを望み続けた。
翼のない自分。神のように崇められることのない「わたし」。ヒトのぬくもり、母の体温。
揺籠はいつでもわたしを包んでくれる。けれど体温を与えてくれるものではない。
悪夢のようなまどろみの中で、いつしかわたしは光を畏れた。
この肉体を照らしだすことのない闇の中にしか、安らぎを得られなくなっていた。ただ世界の広さに立ち竦み、それでも揺籠から出なければならない覚悟と恐怖に怯える。
それは最后のわたしが死ぬ瞬間。
閉鎖された世界から救われた。
笑いかけてくれる。
名前を与えてくれる。
暖かい腕で抱きしめてくれる。
わたしを「わたし」として見てくれる。
優しくわたしの手を引いて。
貴方が現れてくれたから。
そんな言葉は知らなかったけど。
わたしは幸せになりたかった。