黄昏

「―――いつまで、ここにいる気だい」
 聞きなれた声に、少年は振り返った。そこには、当たり前のように「彼」が立っていた。
 少女が消失した地点をじっと見つめたまま動く気がまったく起こらず、時間の感覚も曖昧だった。
 自分がどれくらいこうしてこの場所にすわりこんでいたかなんて、少年にとってはたいした問題ではなかった。
 この場で一夜を明かし、凍え死のうがかまいはしなかった。
 そんなことよりも、何故「彼」がこの場所にいるのかが不思議だった。
「ハカセ……」
 「彼」の名前を呼ぶ。
 體の中はからっぽだった。内臓や血液、骨といった自分を構成するモノがなくなって、干乾びた皮膚しか残っていないようだった。
「華叶が、」
「それで君はずっと、ここにいるの?」
 よく見れば、あたり一面雪だった。少年の肩や頭にも、かなりの量の雪が積もっていた。
 けれど、動く気にはなれなかった。ここにすわっていれば、消えた少女が戻ってくるような気がしてならなかった。
 翼がなくなったのだから、戻ってくるはずもないのだが、いまだ実感も湧かなかった。
 少女がきまり悪そうな笑みを浮かべ、ごめん冗談だったと云いながら戻ってくるんじゃないか。そんなことを思いながら。
 この場を離れられるはずもない。


 少女が死んだ。
 少年の目の前で、本当に瞬くような時間だった。
 悲しいとか、苦しいとか、怒りとか。そんな単純な感情さえ、少年の体内には存在しない。
 嵐のような空白、それが全てだった。
「ハカセは冷たい……」
「僕が?」
 青年が訊き返す。……この人の声には感情がないと少年は思った。
「何で………」
「?」
「なんでハカセは華叶を助けなかったの。華叶はいつも貴方のことを待って、考えて、求めていたのに」
 青年は曖昧に顔を歪めた。
「貴方のことだけを信じていたのに」
「君には、どうにもできなかった……?」
「俺じゃあ、力が足りない。何より役者不足だった」
 少年は力なく云いい、つ……と視線を少女が飛び越えた柵へと投げた。
 どうして、青年は少女に死を悲しまないのだろう。自分の體は、壊れたおもちゃのように動こうとしないのに。
「彼女の孤独は、彼女にしか癒せない」
「華叶は、貴方さえいればそれでよかったのに?」
「それでは、『人間』として生きてはいけないだろう。君を含めて、あの施設にいる小供たちは、いずれ『家』を出て一人で生きてゆかなくてはならない」
 少年は改めて青年の顔を見た。この人も、少女を死なせたことを悔やんでいるのだろうか。
 少年には、この青年の考えてることがどうしても判らなかった。
「守ることは簡単だ」
 青年の目が、疑問に答えるように少年の視線を捉える。
「孤独や辛さを知って、それに耐え一人で立つことは、あの子にとって必要なことだ。何より乗り越えなくてはならないことだったんだよ」
「………」
「それができなければ、生きてはいけない」
 空を見上げると、まだ雪が降っていた。その白さが、少女の持っていた翼の片鱗を思わせた。
「――嘉月、君はどうして泣かないの」
 青年の声は、震えているのかも知れない。
「華叶が……、本当に泣きたい人が泣けなかったのに、俺が泣くわけにはいかない」
 横目で少年を見ると、幽かに笑みを浮かべた。
「―――そうだね……」


 この日、孤独を嘆いた少女が、孤独を残して闇にとけて消えた。



 fin.