紅雪

 その日は朝から雪だった。
 少女はその通りのベンチに腰かけて、流れゆく人を眺めていた。
 寒さに凍えた表情だった。
 時すらも止まってしまったかの様に。本当は、人なんて見ていないのかも知れない。
 そんな少女の姿を見ていたくなくて、声をかけた。
「寒くないの」
 少女はゆっくりと振り返り、絶望的な笑顔を浮かべた。
「なんで…」
「いなくなったから」
 少女は静かに頭を振る。腰まである長い黒髪が揺れて、何かにおびえている様に見えた。
「……逢いたくなかったのに」
「それなら逃げればいい。何度でも。何度も僕は、君を見つける」
 少女は少年の言葉に小さく笑った。とても優しい言葉。ずっと…欲しくて欲しくてたまらなかったコトバ。
 そんな小さくて、優しい言葉をあの人はくれる人ではなかったのだ。
 そんな事は、判っていたハズだったのに。

 道ゆく人が、サクサクと軽快な音を立てて歩いてゆく。
 また、雪が降りだした様だ。
「雪だ………」
 見上げると、白いカケラが鱗の様にひらひらと舞い降りてきた。
 少女はふわりと立ち上がると、少年と同じ様に空を見上げた。
 手をひろげ、そのてのひらに雪を受けとめる。
「――…あぁ」
「華叶…」
 少女は、雪と同じ真白いコートの背中を向けて、ふらりと歩きだした。
「――何処へ」
 少女は何も答えないまま、ひたすらに歩いた。
 少年は、少女に何が見え、何をもとめて歩いているのかが、まったく判らなかった。
 ただ、やみくもに歩いている様にしか見えなかった。
 手が、氷の様に冷たかった。

 やがて行き着いたのは、高いビルの屋上だった。
「雪が、降るのを下から見上げると、空に吸い込まれそうな気がする」
 少女の声に、少年は顔を上げた。
 耳をすますと、遠くで街の音がする。
「――どうして、私は生きているのかしら」
 自分が生きている理由が判らない。自分が望んでいるわけでもないのに、ただ生かされている。
 結局、人はどこへ行っても変わらないのかも知れない。
 自分自身に求められていることが、何一つ変らないような気がして。
 それが嫌で、悲しくて辛かった。
「僕が、華叶に生きて欲しいと願うことは、負担だろうか」
 生きる理由が見つからなくとも、誰かに望まれて生きるのは……。
 思い起こされるのは、切り落とされた翼。その、赤い痕。
 誰に望まれる事なく、失われた體の一部。
「私の内側には、冷たい血が流れているの……」
 少女はそう、ささやいた。
「そんな事ない」
「だって、ケガをすれば本当は痛いハズなのに。なら何で、私は痛みを感じないの」
 少年から逃れる様に、一歩後ろに下がった。
「……君のココロが、血が、冷たい訳じゃないよ」
「ココロが嘘吐きって叫んでる」
「―――華叶」
「本当は"痛い"のに、どうして私には云えなかったんだろう。とっても大切なコトなのに」
 想いは云わねば伝わらない。
 そんな簡単な事、判っていたハズなのに、全てをカタチにできずにいた。
 もどかしさに腹を立て、苛立って周りに当り散らした。
 迷惑をかけた代償は大きい。
 そうして、あるはずのない體の一部が疼き始める。
 自分にとって、唯一自分であった証が失われた。
 それが少女の恐怖を呼んだ。

 真白い雪は絶望に似ている。
 この世の全てを覆いつくす、無音の世界が。限りない「白」が。
 あの幼い日々を、絶望を連れてくる。
 絶望に似た雪の降る日に。
 少女は生まれ、飛ぶことのない翼は切り取られ、雪の中に溶けた。
「――…華叶」
 大人たちが嗤う。
「けれど、わたしには云えなかった。だから、誰もわたしを愛してくれなかった」
「彼ら」も許してはくれない。
「……逝かないで」
 羽のない自身に、再生など用意されていない。
 けれど今は。
「できそこないのわたし」
 少女は、少年に向かって、心の底から笑った。
「アリガトウ。――…サヨナラ」




「空から降ってくるのは、絶望だけじゃないんだ。華叶」


 それはあの日、君が教えてくれた―――