櫻闇

 夢を見た。
 三月の終り、桜の咲く季節の。
 あたり一面に咲く、濃い桜色の花弁が視界を埋め尽くしていた。
 触れると花弁はとても熱く、甘い蜜を滴らせていた。
 噎せ返るような花の香に視界が歪んだ。
 ――これは桜ではない。

「如何なさいました」
 再び目を開くと、目の前には薄衣を纏った女が立っていた。
 髪飾りと同じ、涼やかな聲音。
「否――」
 軽く首を振る。
 甘い花の馨はこの女から漂っているようだった。
「どうやらお疲れのご様子、あちらの東屋で體を休められては如何?」
 女がなよやかな繊手で指差すと、そこに東屋が現れた。
 そのまるで仙境のような光景に、不思議と疑問は湧かなかった。
「華茶をお持ちいたしましょう」
 女がそういうと何処からともなく侍女と思しき女が茶を載せた盆を持って現れた。
「さあ」
 茶を汲んだ湯のみを女から受け取ると一息に煽る。
「如何?」
「ああ、美味いな」
「当家自慢の華茶にございます。ふくよかで、他の物と比べると甘みがつようございましょう?」
「そうだな」
「さ、もう一杯」
「貰おう」
 隣に座った女が手ずから注いだ茶は、先程の物よりも味の良いものだった。
「……っ」

 カラン……

「どうなさいました」
「力が……」
 まろく、柔らかい肉体がすりよる。
「まあ、それはいけませんわ……」
 紅い、紅を引いた唇がにいと笑みを形作り、引き倒すようにして共に床几に倒れこんだ。
「ゆっくりと、お休みにならねば」
 意識が薄れて行くのを感じた。

 簪を外し、肩から着物を落とすと、白い肢体が現れた。
 臆することなくこちらを向くと、女はこちらの上着に手をかけた。
 帯を解き、下衣を取る。
「主様……」
 鼻腔に桜の馨を一杯に吸い込むと、同時に女の体温を感じた。
 花のように軽い體を抱きしめ愛撫を施す。
 溜息のような嬌声が零れはじめた。
「主様」
 いとおしげに男に触れると愛撫し口付ける。
 女は自ら體を開き、熱い蜜を滴らせる場所へと導いた。
「さあ……共に」
 汗ばむ柔らかい體、細い腕が絡み付いてきて快楽に爪を立てる。
 胸を長い髪がくすぐり、女が甘い声を上げる。
「っ……」
「ぁあっ………!」
 一際高い声を上げ、果てた女の弛緩した體が覆いかぶさった。

「大丈夫か」
「――主様」
「何だ」
「妾のことを愛しいとお思い下さいますか」
「ああ」
 男は女の胸を鷲掴み、再び事を交えようと體を動かし始める。
「厭ですわ、気の早い」
 あの甘い、鈴のような聲でころころと嘲う。
「本当に妾のことがお好き?」
「ああ。お前は最高の女だ」
「ならば」
 女は先程と変わらぬ笑みを浮かべ、男の首に手をかけた。
「死に、果てられよ」

「旦那様?」
 頬に体温を感じ、はっと目を開いた。
「嘉遥か……」
「旦那様のお好きな華茶をお持ちいたしましたわ」
「……夢、か」
「どうなさいました?」
 幽かに眉を顰め、細がこちらを見ていた。
「否、なんでもない。夢を見ていたのだろう」
「華胥の夢、でございますか?」
「そんな良いものではなかったな」
「あら、幸せそうな貌をしておいでですわ」
 細が面白くなさそうな表情で貌に触れる。
「もっとよく貌をお見せくださいな」
「なんだ」
「ああ、矢張り」
「だからなんだと云っている」
「旦那様、先程まで女人と褥を共にしていたような貌をなさっておいでなのですわ」
「な……」
 細は貌から手を離すと、侍女から盆を受け取ると侍女を下がらせた。
「それになにやらよい馨がいたします。どこぞで華茶を召し上がられました?」
「それは……ない」
 ふいに、あの夢の女の貌が思い浮かんだ。
「折角今年一番の華茶をお持ちいたしましたのに、嘉遥は損をした気分がいたします」
「そう云うな」
 乙女のように拗ねる細に苦笑し、腕を掴んで引き寄せた。
 夢の女の脂粉が匂ってくるような気がして、細の肌に唇を這わせた。
「あ……」
 衣の袷から手を差し入れ、豊かに膨らんだ胸に触れる。
「お茶が」
「後でいい」
 あの女とは違う、細の初々しい様子に夢中で攻め立てる。
 はだけた裾を割り、顕わになった脚に手を差し入れると、桜の香が馨った。
『主様』
 にぃと、紅い唇で嗤う。
「……!」
「ぁあっ!!」
 細の鋭い叫びと肩に走った痛みで我に返ると、そこは元の部屋。


 視線をめぐらせ、卓の上には櫻が一枝。
 冷めた華茶を一口含み溜息を吐く。
「花精に、絡め取られたか……」
 答えは櫻のみぞ知る。